歯車党日記

オタク系フリーライター&編集者・石黒直樹の徒然日記&コラムです

本質を捉えられないマスコミ、それに踊らされるネットの厨房

04/06/13-03:41
 佐世保の事件も普通の新聞などでは早くも話題が消えつつある印象を受ける。にぎやかなのはワイドショーや週刊誌といったゲスなスキャンダル系メディア&ネットの悪ノリ厨房ぐらいで、早くもネタとして消費される段階に突入してしまった様子。加害者を「ネバダたん」などと萌えキャラに仕立てるのはちょっと悪ノリしすぎだろと思っていたら、唐沢氏の日記(6/9)にまで「佐世保NEVADA事件」と表記されてて目眩が……このまま定着してしまうんだろうか。これじゃ、被害者の父親である毎日新聞佐世保支局長も、心が壊れてポエムみたいな手記を書いてしまいたくなるだろう。
 文春は加害者が「被害者の顔を何度も蹴っていた」とかまるで見てきたかのような大見出しを打ち、『我が子を犯罪者にしないためのゲーム脳研究』などというレベルの低い捏造記事(ゲームショップ店頭でメモっただけのCEROレーティング審査済みソフトのリストを「ゲーム極秘格付けリスト入手」と煽ったり、ゲームと事件に関連性はなかったのに酒鬼薔薇の脅迫状や長崎の男児殺害事件関連の写真をレイアウトして「ゲーム=少年犯罪」というミスリードを引き出そうとする記事構成等々)を同誌で書き散らした草薙厚子は「これだけ少年Aとの共通点が!」とまたヨタ記事を書き飛ばす。何が何でも「加害者は異常な鬼畜」「ネットは悪の温床」という方向に持って行きたくて必死なご様子。 
 TVではごく普通のアニメ・マンガ好きな女の子のヘタウマな絵にすぎないラクガキの数々から、無理矢理異常性を見つけ出そうとして、そこらへんのことがなにもわかっていないであろう学者先生からトンチンカンな分析を引き出そうとこれまた必死。こういう時こそ東浩紀や斉藤環の出番だと思うのだけど、やっぱり向こうが期待しているようなことを言ってくれないのがわかっているだろうから声をかけないんだろうなあ。おまけに、このラクガキの中にハングル文字が書かれていたとわかった途端に「在日氏ね」と嫌韓厨房が大騒ぎ(結局文字が全く意味をなしていないので、単に絵の飾りとして書いただけらしいが)。こういう人たちって、自分たちの言動がまさに自分たちが忌み嫌う「日本のことになら何にでも噛みつくゲスな反日韓国人」と同じだってことがわかっていないんだろうかな。

 この事件に限ったことではないが、ここ数年の少年犯罪報道は一定のループの繰り返しだ。

「犯人の子供は異常者と煽る」→「少年法批判&それにかこつけてプライバシー晒し」→「ゲーム・マンガ・アニメ・ネットの悪影響だとバッシング」→「子供の心の闇が云々と何の解決にもならない結論を語って終了」

 特に週刊誌の場合は、ネタが切れると思い出したかのように「また事件を起こしてほしい」というゲスな意図が透けて見えまくりな後追い煽り記事をかます……心の闇を晴らすどころか、深めたくて仕方がないんだろうか。というか、これだけ何年も同じ事を繰り返すだけで事態の改善に寄与できないとなると、マスコミそのものの存在意義すら疑わしくなってくるのですが。
 そしてネットでは一部の人間がこんなマスコミに煽られて「祭り」と称して事件の関係者のプライバシーを掘り起こして追いつめていく。マスコミにしてみれば、苦労もせずに情報は集められるし、「ネット言論の暴走」と自分たちのことを棚に上げて批判できるしで一石二鳥だ。自ら情報を発信することや、「匿名」という鎧に守られて社会を糾弾する快感に酔うのもいいが、それも度が過ぎればマスコミに利用されるだけだということ、ネットに関わる人間全てが自覚しておくべき時代なのではなかろうか。

■関連リンク
『社会派くんが行く』佐世保事件号外

 一週間の限定公開とのことなので、リンクが切れている場合はご容赦を。本当なら全文転載したいところですが、今回は唐沢氏の書かれた今回のキモとも言える部分を。

 大体、自分の子供の頃、小学6年生の頃を思い出してみろと言いたい。オマエらはほんとうに、純真な、人への殺意なんぞ持とうともしない、ヨイ子でしたか? 精薄児でもない限り、そんなこと、あるわけもない。小学校の5、6年と言えば思春期にさしかかり、ココロとカラダの発達がアンバランスになる年頃だ。自我もどんどん発達してきて、世間と自分の間の摩擦がどんどん認識されてくる。これまで自分にとって、ただ愛情を注いでくれる存在だとばかり思っていた親や兄弟や友人たちのウラが見えてくる。そのショックが裏切られ感につながり、周囲に対する破壊衝動や怨念で凝り固まる。どこにでもある話で、珍しくもなんともない。逆に言えば、そういうココロの闇をくぐらないと、人間は大人になれないのだ。子供をまっとうな人間に育てようと思うなら、この時期に徹底して煩悶させるべきなのだ。そして、自分がこんな風にドロドロとしたことを思っているように、他人もまた、ドロドロとした内面を持っていることを教え込まなければならない。それを理解した上でやっと、そこから先、オトナのつきあいというものが始まるのである。何にも考えず、“みんな仲良く”なんて思っている奴はただのバカでしかない。
 この葛藤はいわば、コドモが人間になるためにくぐるトンネルだ。そこをくぐって初めてコドモは一丁前になる。だから、その時期のコドモというのは、とにかくきちんと監視することが必要なのだ。ガキだって人を殺す、ガキだって犯罪をおかす、いや、ガキだから人を簡単に殺すし、ガキだから何も考えず(考えられず)犯罪を犯す。その、最も危険な時期、生来の鬼畜なのが11〜12歳なのだ。


 政府もマスコミがあれだけ何やかんやと騒いでも、なにひとつ有効策を打てていない理由がこの文章に秘められているのではないだろうか。
 社会生活を営んでいれば、誰だって「むかつくあいつを殺してやりたい」「盗んででもいいから金が欲しい」「女を犯したい」等々の怒りや欲望を多かれ少なかれ感じることはある。その時に激情の赴くままに行動して犯罪者となるか、何とか踏みとどまるかを分けるのはそれぞれの倫理感や正義感なのだろうが、それ以上に大きいのは「社会的な立場」や「世間体」というものだ。犯罪を犯してそれが露見すれば、今まで築いてきた信頼も地位も仕事もすべて失うことになり、あまりにハイリスク・ローリターンな行為だ。それを理解するだけの理性があるから、多くの人々は犯罪に手を染めることはない。様々な理由から追いつめられて理性を失ったり、社会の裏側で生きる覚悟を決めたものだけが犯罪者となってしまうのだ。
 でも子供(未成年)にはそういったものが存在していない。倫理観や正義感はまだ育てている段階だし、社会的な立場もなければ気にするような世間体もない。何も歯止めになるものがないから、暴走した時に最悪の事態にまであっさり発展してしまうのだ。唐沢氏の言うとおり、自分の子どもの頃を思い返してみれば誰だって激情に駆られてケンカをしたり、万引きなどの誘惑にふらついたことはあるはず。その時に上記のような犯罪の歯止めを心の中で自覚していた人はそういないはずだ。
 今回の事件や先日の幼児殺害事件に限った事じゃない。未だ根深いいじめの問題にしてもそうだし、暴走族やカラーギャングにしたってその中核にいるのは常に「子供」だ。何の歯止めもない子供だから、あっさりと犯罪を起こす側になってしまう危険性が高いのだ。よくこの手の問題で「少年法の不備」を上げる人が多いが、仮に現行の少年法を無くしたとしても犯罪抑止にはならないと思う。犯罪を抑止するのはそれぞれの心の内にあるものであり、刑法は犯罪の事後処理にしか機能しないのだから(ここらへんは漫画版の『パトレイバー』で後藤さんが言っていた「予防は本来かぜ薬の仕事じゃない」からはじまる警察論と一緒かも)。
「12歳」「小学生」というインパクトにごまかされていては問題の本質はつかめない。ゲームやマンガのせいにしたり、加害者を異常者に仕立て上げて「この子だけが特別」という形で煽るだけの報道なんてクソの役にも立たない。殺人には至らなくても、いつそうなってもおかしくない状況は子供の世界に常に存在し、ちょっとバランスが崩れるだけですべての子供が被害者にも加害者にもなりうる可能性は誰もが持っているということを現実として認めない限り、この状況はずっと変わらないと思う。

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Posted by 石黒直樹
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