歯車党日記

オタク系フリーライター&編集者・石黒直樹の徒然日記&コラムです

切込隊長氏へのレスポンス『今のオタクにマイノリティの自覚はあるのか?』 

05/01/04-01:14
 昨日の大谷昭宏関連のエントリーでは、色々なところからリンク・リアクションをいただき大変参考になっています。まあ中にはろくに読まないで書かれているのもあって萎えましたが(「イタズラ目的でさらったり、その過程でうっかり殺してしまったなんてぐらいならありうるが、明確な殺意を持った猟奇殺人まではやらないだろう」と書いたのが、なぜ「オタクは絶対犯罪を犯さない」と主張していることになるんだろうか)。そんな中で、よもや切込隊長からリアクションをいただくとは思ってもいなかったので、自分なりのリアクションをば。

 まず自分の立ち位置をハッキリさせると「あまりに事実と異なる偏見(今回の「フィギュア萌え族(仮)」や「ゲーム脳」など)に対してはきっちりと相手側に対して意思表明をすべき」だという考えです。でも隊長の言う「いままで真性オタクが嗜好していたブツを一般の人が目にすることになり、かえって「こんなもんは規制しろ」という声が高まるだろうという常識的な判断はどこにいったのだろう」という意見にもまったく同意なのです。

●大谷昭宏の発言の何が問題だったのか?
 昨年後半からワイドショーなどで、オタクや秋葉原に関して面白おかしく取り上げられることが多くありました。その流れのトドメとして登場したのが、奈良県・楓ちゃん事件に関連する大谷昭宏の「フィギュア萌え族(仮)」だったわけですが、前者と後者は同じようでいて大きな違いがあるのです。
 前者の報道に関しては、テレビ局スタッフによる偏見というフィルターや誇張された表現こそあったものの、今のオタクの現実を間違いなく映し出していたことだけは確かでした。でも、大谷昭宏の語る「フィギュア萌え族(仮)」に関しては実際のフィギュアオタクと重なる部分の全くない嘘八百の羅列(※1)でした。自分のも含めてここまで今回の大谷昭宏の発言が反発を呼んだのは、そこにオタクの現実がまったくないまま「オタクが犯罪者」というロジックを全国ネットのテレビや新聞紙上で繰り広げられたことにあると考えます。

※1/フィギュアオタクがフィギュアを好むのは「造形物としての魅力(立体としての完成度はもちろん、美少女フィギュア系に関して言えば立体としてのエロティックな表現力も含まれる)」「好きなキャラクターのコレクターズアイテム」としてが主であり、別に「自分に対して反論しないから」フィギュアを愛好しているわけではない。さらに「実際の生きている人間を、物言わぬフィギュアにしたい」という欲求を持っているという大谷の主張はあまりに脈絡がなさすぎてコメントのしようがない(これはオタク云々というより猟奇殺人者の異常心理の類であろう)。さらに日刊スポーツ誌上で大谷の語る「萌え=美少女ゲームのキャラクターと架空の恋愛に没頭すること=現実の人間を拒否する異常心理」というのも、あまりに誤った見方である。一般的な言葉に変換するならば、萌えとは「ときめき」という感情に近い愛好心のことである(参考リンク/岡野勇『今、そこにあるオタクの危機』第七回・オタク県・萌え地方の方言。)。


●世間の目を気にしない無自覚なマイノリティたち
 隊長の指摘する「自分たちが世間にどう見られているかを意識していないのか?」という問題については、自分もかなり以前から感じていたことです。最近では改善されつつありますが、ちょっと前には秋葉原の大通り沿いで堂々とエロゲーのポスターが貼られたりデモ映像が垂れ流しにされたり、同人ショップの売り上げランキング看板にエロ絵が晒されていたり、海洋堂のショップのディスプレイケースに『週刊わたしのおにいちゃん』の魔改造(厳密には違うのですが)フィギュアが飾られていたりという状況には頭を痛めたものです。
 児童ポルノ法改正の折には、アダルトコミック/ゲームなどが規制対象になるかもと言うことで反対運動が繰り広げられました。自分も規制には反対の立場でしたが、反対運動の一方であからさまに小学生や幼稚園児をネタにしたアダルトコミックが堂々と出版・販売されているのを状況を見て「これじゃいくら表現の自由を叫んだって支持されるのは難しいだろう」と思っていました。ぶっちゃけて言ってしまえば「調子に乗りすぎ」としか言い様のない状況です。
 何年か前なら、オタク全体にマイノリティゆえの自主規制というものが働いていたものですが、最近はそういった意識が薄れていると思わされることが多くなっています。他の方とも話したのですが、今のオタクは「コミケ」「フィギュア」「同人誌」「エロマンガ&ゲーム」「ネット」も「最初から当たり前にあるもの」として享受している世代なので、自分たちがマイノリティだという認識もなく、自主規制や世間からどう見られているかという意識が最初から形づくられていないのではないかと思います。
 だから商業作品をネタにした同人誌が「ファン活動だからと言う著作者側の黙認」によって成立しているものだという意識が無く、著作者側がその気になればいつでも告発できるエロパロディを描くことに対する危機感・罪悪感がない。作家の小野不由美と講談社が、某出版社が発行している『十二国記』の無許可アンソロジーに対して抗議を表明したことに対して「表現の自由がわかっていない」と逆に著作者側を非難するという信じられない話もありました。上で書いたアダルトコミックの件にしても「小学生や幼稚園児のエロを描いて何が悪いんだ?」という感覚なのかも知れません。
 上記のような状況に加え、森永卓郎氏などが「今年は萌え」とか言い出していることを考えると、ますます「オタクはマイノリティである」という意識の形成が難しくなるのではないかと。オタク向けのイベントや商品を作る側にいる自分としてもこれは一種のバブル状態だと認識しているので、かなり切実な危機感を感じています。
 自分が火付け役の一端を担っておきながら言うのもアレですが、確かに今回の件に関しては反応が過熱気味なのかも知れません。ただ「テレビやスポーツ紙からすれば、オタクが怪しいということになれば当然そのような論調で報じ、しかも絵面がフィギュアのような一般人が心理的におおいに後ずさるようなモノである以上バッシング構造になるのは自然なことだろう」というのはちょっと違うかと。捜査情報などから「オタクが怪しい」という可能性が提示されたわけではなく、大谷昭宏がいきなり「フィギュア萌え族(仮)」と言いだしたのです。実際、この線での報道がなされたのは一部の女性週刊誌をのぞけば大谷昭宏が関わる朝日系列メディアのみです。抗議対象が極めて限定されたことも、今回の過熱の一端を担っていると考えます。

●オタクとエロは分離できるのか?
 前のエントリーではあまりに下世話なので書かなかったのですが、今回の犯人がオタクじゃないと思った根拠は「犯人がペド趣味のオタクだったら、殺したりせずに監禁凌辱して楽しみまくるだろ? せっかく手に入れた幼女なんだし」というものでした(ああ……自分で書いててイヤになるorz)。
 オタク界隈をエロを基準にして区分けするというのは良い案だとは思うのですが、エロゲーのアニメやノベライズが一般向けにリファインされて市場に投入されたり、エロゲー出身のクリエイターが東浩紀や講談社のファウストによって「新世代の才能」として大々的に売り出されるといった状況があるように、市場や企画的にエロと非エロが不可分な状況になってしまっているのが、現在のオタク界です。オタク系のエロ市場自体が、非エロ側の企画やクリエイター発掘の場として使われているのです。さらにユーザーレベルでも、とある作品の真面目なファンが自分のファンサイトで「この作品のエロ同人誌を買うような連中はドブネズミ」と発言したところ、「エロだって立派なファン活動だ」とエロ同人誌を支持する同作品のファンにパージされるという笑うに笑えない騒動が起こる始末です(非エロの作品をエロで汚す事への罪悪感や著作権的な問題も、この類のオタクには希薄なように思えます。著作権意識に関しては、オタクに限らず若いネットワーカーにも当てはまる問題だと思いますが)。
 犯罪者スレスレの痛いオタクを別物としてパージできれば確かに楽だなと言う気はします。でも、商品的にもユーザー的にもエロと非エロがボーダレスになっている現状では、単に都合の悪いことを切り捨てるだけなのではと考えるオタクも多いのではないかと思います。今回の事件に関して言えば、犯人が新聞販売員だったということで新聞各紙は事件の追及をトーンダウンさせている(もしくはエロマンガを切り口にオタクへと事件の風向きを変えている)たり、産経新聞だけが自身の販売店でも働いていたという経歴部分に全く触れていなかったり(逮捕当時のWeb上での記事を見る限りですが)といった臭い物にフタといった姿勢を見せていますし。偏見報道やネット上での「オタうぜえ」的バッシングを無抵抗主義で受け入れる義理はないですが、オタクの負の面を受け入れることも、オタクである以上は避けて通れないのかもしれません。



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Posted by 石黒直樹
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