映画秘宝最新号に思う「ネットの圧力」なるものを生み出す人々
04/10/22-02:10
ここ最近は「面白い記事は普通に面白く、つまらない記事は普通につまらない」状態が続いていたので、特にツッコむこともなくスルーしていた『映画秘宝』ですが……何というか、ひさしぶりにやってくれたぜということで、今回取り上げます。
まずは秘宝大プッシュ中の『チーム・アメリカ』ネタ。同作を政治プロパガンダ映画だと言い切った木村太郎を
「パロディやアホらしさというを理解できない堅物はどの世界にもいる」と断罪する高橋ヨシキには激しく同意。わたしも『週刊わたしのおにいちゃん』の企画意図が「萌えブームのあほらしさを具現化する壮大なギャグ」だと言うことも理解せずに「ロリペド犯罪の温床」かのように扱い「購買客リストを公安に提出しろ」などとほざきまくっていた、
どこぞの雑誌のバカ編集長&ライターには実に腹立たしい思いをさせられましたので。ぜひともそいつらのことも断罪してやってください。
しかし『わたおに』に萌えるオタクを犯罪者呼ばわりしといて、最新号5Pラストの『思春の森』DVD問題では
「チャイポマニアは悪くない」と三次ロリに(;´Д`)ハァハァなチャイルドポルノ愛好家を擁護し児ポルノ法批判って……危険度で言ったらチャイポマニアの方がはるかにヤバイだろ。ついでに
『月刊わたしのおにいちゃん』はいつの間になくなったんだよオラ!
それはともかく、秘宝誌上での『チーム・アメリカ』の今後の扱い方にはちょっと興味があったり。はからずもアンチ『華氏911』的なポジションになってしまった同作に対して、町山氏は(はてなダイアリーを読んでいると)いささか批判的な立ち位置だけど、田野辺&高橋ヨシキは大プッシュ。さらに『チーム・アメリカ』の「映画で政治を動かそうなんてバカらしい。興味がなければなくてもいいんだ」っていうメッセージは、秘宝版『華氏911』というべき『慎太郎911』を否定することにもなるだろうし。ここらへんのバランス取りはどうするんだろうなとか、町山派VS田野辺派の内ゲバもありうるかなとか思うのですが……まあダブルスタンダードな秘宝だから、両方マンセーとかになるんだろうな。
まあ、上に書いたようなネタは今回は単なる前フリ。真剣に「これはどうよ?」と思ったのが、モノクロページのメイン特集
『封印された10本の日本映画』。特集自体は文句なく面白かったのだけど、問題はラストを飾るインタビュー記事
「問題作『封印作品の謎』著者 安藤健二は語る」だ。
インタビューの後半は、例の『コンクリート』上映中止運動と『封印作品の謎』の最終章で取り上げているO−157ゲーム問題に絡めて
「ネット(というか2ちゃんねる)は今や圧力団体となっており、ノリだけで思想や言論を封殺する恐ろしい集団と化している」と結論づけている。『コンクリート』絡みのことは後に譲るが、問題なのがO−157ゲーム問題に関してだ。
※O−157ゲーム問題……埼玉県が監修したO−157予防の知識を啓蒙するための教育ゲームソフトが、18禁美少女ゲーム『水夏』のキャラクターを使ったものになっていたことで騒ぎになったもの。詳細についてはこのページにまとめられています。 インタビュー内で、著者はこの騒ぎについてこのように語っている。
−でも要はアニメの絵でしょ? 普通だったら気にされないレベルじゃないんですか?
安藤「それがマニアの人にとっては区別がつくんですよ。怪獣マニアがゴジラの何代目っていう区別がつくのと同じですよ(笑)。そのマニアが騒いだんです。エロゲーが好きなくせにどこかでバカにしてるんですよ。所詮エロゲーで俺のオナニーの道具が県のポスターなんかに出てやがる。生意気だと」
−この件については、ゲームを制作した人物もオタクで、オタクが自分の趣味を仕事に活かすっていうのは、何ら責められるところではないけど、本当だったらそれを熱烈に支持すべき受け手側が何故か圧力になっていく構造がある。
安藤「よくあるじゃないですか、B級アイドル好きで、自分のアイドルがメジャーになってCDデビューした途端に、「あんな奴はダメだ」とか言い出す人。そんな屈折したファンの心理が起こした事件かもしれません」
秘宝編集部(というか、おそらくインタビュアーを務めたであろう田野辺編集長)のネットやオタクに対する偏見はいつものことだからこの際どうでもいい。問題は
あのゲームが抹殺される原動力になったのがエロゲーファンたちによる抗議運動だったとされている点だ。
あの騒動をウォッチしていた何人かに聞いてみたが、エロゲーファンはむしろ
「エロゲーキャラと言うだけで否定するのはおかしい」とO−157ゲーム擁護の意見が主流だったはずだ。それに対して「エロゲーオタうぜえ」的なアンチオタク派や真面目に「公的な教育物にエロゲーキャラはふさわしくない」と主張する人が反対するという対立図式が騒動の根底にあったのだ。著者自身も本の中では
「容認派と反対派双方の意見が飛び交っていた」「新聞で報道されると反対派が抗議の意見を寄せ、県教育関係者の『教科書にAV女優が出るようなもの』発言や県が監修を下りたという報道がされると容認派からの抗議が寄せられた」と書いているにもかかわらず、
「ネットは圧力団体だ」としたい映画秘宝の方針に合わせるために「エロゲーオタク自身がゲームを封印に追い込んだ」と事実を歪曲したのだ。 さらに『封印作品の謎』の問題の章を読んでみて驚かされたのが……そもそも
著者自身がゲームの話を聞いて「物議を醸すために」新聞記事にしたのが全ての元凶だったという点だ。騒動の流れを要約するとこんな感じだ。
・産経新聞・埼玉県庁担当記者だった筆者が「O-157ゲームにエロゲーキャラ登場」の話を知り、大きな記事にしようとする。しかし先輩記者に「それが何か問題なのか?」と疑問を呈され、「美少女ゲームのキャラが教育ソフトに登場」という事実関係のみにとどめた記事に。本人曰く「不完全燃焼」。
・その記事を見た夕刊フジの記者から事の詳細を聞かれ資料提供。その際に県の教育関係者の連絡先リストなども頼まれたので提供。本人曰く「ちょっとイヤな予感」
・夕刊フジでスキャンダラスな事件扱いで記事化。県の教育関係者が語ったという「教科書にAV女優が出るようなもの」発言も、記事の方針に都合の良い事実のみを提示してコメントを引き出すようフジの記者が誘導(筆者曰く「新聞記者なら誰もがよくやること」)したものだろうと筆者記す。「こういう記事に自分もしたかった」とも。 O−157ソフト自体に教育的に問題のあるエロシーンがあるわけではない。インタビュー内で自ら触れられているように「オタクにしかエロゲーキャラと分からない=一般人には無関係」なのだ。
先輩記者氏の「それが何か問題なのか?」という一言がすべてである。それをわざわざ問題にしたのは、筆者自身なのだ。筆者が引き金を引いたおかげで、夕刊フジが大げさなスキャンダル記事に仕立て上げ、ネットに論争を誘発してその抗議の声が県庁に寄せられる事態になったのだ。それを
「ネット悪玉論」へと論点をずらして、自分が身をもって証明した「たったひとつの報道が問題のない出来事を事件化してひとつの封印作品を作った」という表現の弾圧の実例に関する責任をうやむやにしようとしている風にしか見えないのだが(やたらと「その後ゲーム会社が同作品を発売。完全な封印作品にはならなかった」と言っているのも、そういったごまかしの一端に思える)。安藤健二が封印作品を生み出す様々な問題に異議を唱えるなら、
ネットを叩く前にまず自分の行為を断罪する方が先なのではないだろうか。
※追記
犀の目工房さんの10月23日のリアクションから、安藤健二が本の中で“その時に書いた記事が封印の発端となったのだ” “結果的には封印を後押しする事になってしまった”“情報規制に反対する立場から、封印を生み出す立場へと変わってしまったのだから、人のことは言えない”と語っているという指摘が。これについては自分も内容確認時に読んだのですが、
映画秘宝の問題の記事内ではそのことにまったく触れずに「ネットでエロゲーオタクが騒いだことが産みだした事件」とまったく異なる主張へと持っていってます。この事から自分は「ネット悪玉論へのすり替え」の意図を感じました。前述のようなことを語っていたのなら、秘宝の偏向には突っ込んでも安藤健二に突っ込むことはなかったのですが。
あと、安藤健二が大学生時代に酒鬼薔薇の素顔を撮った写真誌記事をネット公開したという前歴から「ネットに理解のある人だ」と擁護されている方もいますが、個人的にはその行為も疑問に感じます(写真を広く公開し個人情報の特定を容易にすることで、容疑者の親族に対する愉快犯的ないやがらせなどが発生する可能性は考えた上でのことなのか?(すでに雑誌に載ったんだからかまわないという判断か?) その後、他の未成年犯罪に対しても同様の行為を行ったのか?(単に話題性のある酒鬼薔薇だからやったのか?) 産経新聞の記者となってから同様のことを紙面で行おうよう努力したのか?等々。)。というか、その行為自体が「ネットの圧力団体化」と批判する2ちゃんねるのニュース速報板などで発生する「祭り」と同じ行為なのではないかと。
この「ネットを悪玉にしたい」という著者と映画秘宝両者の思惑に満ちたインタビュー記事。そしてここ何回か書かせてもらったアンケートハガキを巡る状況に関する様々なリアクション。特につながりのなさそうなこのふたつの要素が、俺の中でひとつの推論へと繋がった。それは
ネット言論を圧力に変えるのは、極端に嫌っている人である 映画秘宝がやたらと「これは新たな表現の自由の弾圧だ」といきりたった2ちゃんねる発の『コンクリート』上映中止運動。ハッキリ言うが、当初の予定通り上映していたとしてもたぶん何も事件は起こらなかっただろう。その後の渋谷での上映でも何も起こらなかったように。イラクの邦人人質帰国が決まった時には「三馬鹿に腐った生卵をぶつけにいくオフ」などという計画が盛り上がっていたが、結局わずかな人間が受け狙いのプラカード晒す程度で終わっている。主催者がちゃんと身元をあかし、専用サイトなどを立ち上げて同志を募る類のものならともかく、
2ちゃんねるでこの手の話が盛り上がっても、それが社会的リスクを伴う可能性があればまず実行されることなどないのだ(以前の27時間テレビに対するカウンター企画として立案された湘南ゴミ拾いオフや、参加者間でトラブルもあったらしい広島折り鶴オフなど、参加することにリスクが生じず世間ウケもいいものは別だが)。むしろぽつんと書かれた犯罪予告などの方がよほど実行される可能性が高く危険なほどだ。
アンケートハガキ絡みのことで書いたが、ネットでやたら威勢のいいことや夢を語る人ほど
「不特定多数に対して自分の意見を主張した時点で満足してしまう」ことが多いのだ。それが匿名性が高くアナーキーな板の多い2ちゃんねるならなおさらだ。ハングル板で暴れている嫌韓厨が、実際に新大久保あたりで韓国の人を殴ったり焼き肉屋で暴れるわけではないのと一緒だ。2ちゃんねるは実社会での鬱憤・ストレスをはき出すガス抜き場所としての側面があるわけだ。
ネットを日常生活や仕事の一端として触れている人なら、2ちゃんねるで祭りが起こっても別段気にはしない。そのほとんどが一過性で、それが実社会での行動に繋がることも少ないことを知っているからだ。でも、
ネットとの接点が少なかったり、偏見をもっている人ほどそれを「本気」に受け取る。特に一種の商売敵であるマスコミ関係にその傾向は強い。映画秘宝の『コンクリート』にしろ、一般週刊誌でのネットネタの記事の数々にせよ、物事を実状以上に大げさに扱い、ネットワーカーすべてがそれらに関わったり支持しているかのように煽る場合がほとんどだ。今回の映画秘宝が語っているような
ネットの圧力というもののほとんどは「相手が勝手に過大評価して圧力にしてしまっている」パターンがほとんどといっていい。中にはそれを逆手にとって、ネットを仮想敵化することで自身の利益に繋げるものもいるのだが(映画秘宝とアップリンクによる『コンクリート』再上映を巡る動きは正にそれだ。最初の上映中止自体も、映画秘宝のプッシュ&再上映をリンクさせた、抗議運動を利用したプロモーションだった可能性も否定はできない。そもそも
2ちゃんねる発の抗議運動ごときでケツをまくること自体が、表現者側による「表現の自由」の冒涜だ)。
ネットは圧力団体で表現の自由の敵だとマスコミは言う。だが、自分たちに都合の良いネットの一面だけを誇張して「ネット悪玉論」を展開するのは、マスコミによる「表現の自由の封殺」ではないのだろうか。
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Posted by 石黒直樹